後ろの席のHさんが職場で亡くなったこと

ずいぶん以前に勤めていた会社でのことだ。 今から15年ほど前の話。

当時、僕が勤めていたのは大きな工場。 薄型のテレビを製造していた職場だった。

その職場はいかにも工場然とした佇まいで、内部も工場そのもの。 むき出しの配線や基盤、飾り気のないデスクに何台もの試作品。 その独特でギークな雰囲気は、「拒否反応が出て辞める人もいるよ」と、派遣会社の担当者が冗談めかして言っていたことを思い出す。

でも僕は、そんな雰囲気も嫌いじゃなかった。

派遣会社からその工場に派遣されて、ソフトウェア開発を行なうことになった。 この頃、僕はただ単にパソコンが好きくらいのもので、自分がプログラミングをするなんて想像もできなかった。

最初は出来上がったテレビの検査だったのだが、とある経緯により半ば強制的にC言語のプログラミングの習得を余儀なくされた。

結果的には、この頃に学んだことが今の仕事でも生きており、その機会に恵まれたことに感謝している。 にしても不条理だと思う。月給15万だったから。

IT系というのはそれこそブラックの温床。 地上波デジタルへの移行期で、業界が最盛期だったこともあり、23:00くらいまで仕事するのは普通な職場だった。 こんな状況にありながらも、派遣で金がない僕は、「残業代もらえるからラッキー!」という、ラッキーとは程遠い状況にも関わらず、満足しながら働いていた。

派遣でのメリットは、会社の業績に責任を感じなくて良いところだ。 その点では、社員の方は圧倒的に重い責務を負っていたように思う。

納期に追われた中で、進行管理を行いながら、効率の良いマネジメントに苦心する。 派遣という外野から見ても、業務過多と責任の荷重でストレスが積み重なっているのは想像に難くない状況だった。

社員のHさんは、僕のデスクの斜め後ろの座席。 業務の上でも絡むことはなく、ほとんど会話もない。 身長が高くて肩幅が広い。 一見すると、いかつくて怖そうにも見える。

でも、朝の挨拶を返してくれる、その職場では珍しい人だった。

この業界、わざわざ挨拶をしなくて良いという慣例がある。 ・・・多分、あるんだと思う。 だから、こちらがしても、し返してくれないことが普通なのだが、その方は返してくれた。

朝の挨拶くらいのものだけれど、それが続くと親しみを覚える。 同時に、柔らかくて優しい人だと気付いた。

Hさんの業務は、僕には忙しそうに映った。 大概は僕なんかよりも早い時間に出社して、すでに仕事をしていたし、帰りも僕よりも遅かった。

具体的な職務の内容は分からないけれど、常に電話で連絡を取り合っている姿が印象的だった。

周りの人の話からなんとなく察するに、板挟みになるような立場だったように思う。

ある日。

僕が先輩と仕事の話をしていると、いびきが聞こえてきた。 「え?」 Hさんがデスクチェアに腰掛けたまま、居眠りをしていた。 相当に疲れているんだな、Hさんも大変だな。 そんなふうに思いながらも、先輩との会話を続けていた。

その後、数分も経たぬうちだと思う。 いびきの音は、かなり大きいものになっていった。

いびきの音が、職場で響き渡るという異様な雰囲気。 辺りにいた誰もが、ただ事ではないと感じ始めた、その時。

Hさんは、デスクチェアから崩折れた。 椅子からドサっというような音とともに、うつ伏せに倒れこんだ。

近くにいる僕は何が起こっているのか、何をすれば良いのか、全く思考できず彼を眺めるだけだった。

いつの間にか、周りにはそのフロアで働く人たちが集まっていた。 上司が「産業医に連絡しろ!」と叫んでいるのが聞こえる。

僕を含め、周りに集まった人たちは為す術もなく、ただただ、倒れていびきをかいているHさんを取り囲んで、見つめるだけだった。

彼は、時折、痙攣しており、素人目に見ても危険な状態であることが伺い知れた。

産業医の到着まで、とにかく長く感じた。 いや、実際に産業医が到着するまで、15分・・・いや30分近く経っていたような気がする。

医療のことなんて、TVで見るくらいの知識しかない僕でも、この状況ではたった5分であっても致命傷になるであろうことは、想像することができた。

大きな工場施設だったため、救急車よりも早く駆けつけることができる産業医が処置をするという仕組みらしい。 すぐにいるはずの産業医だったが、それには時間がかかりすぎた。

彼は担架に乗せられ、ようやく運ばれていった。

2週間後、Hさんが病院で亡くなったと知らされた。 Hさんは亡くなるまでの間、昏睡状態だったという。

僕らは葬儀に参列することとなった。

葬儀の会場にはHさんのご家族がいた。 奥さんと、小学校低学年の娘さんだ。

その姿を目にした瞬間に、この家族が失ったものという抽象的なイメージが、現実味を帯びて感じられて、胸を締めつけられる思いがした。

亡骸は、僕が見てきた数少ない中でも見たことがない形で、棺に収まっていた。 膝が曲がったままで緊張した様子のまま、硬直していた。

それが何を意味しているのかはわからないが、苦しかったのかもしれないと思った。

それからしばらくして、社員さんに聞いたのか、噂で知ったのか、経緯は忘れてしまったが、企業側の認識を知った

それは、「この度のHさんの件は残業が60時間以内であり、仕事との因果は認められない」というようなものだったと思う。

これがどれだけ正当な主張なのかは、僕には計り知れない。その知識もない。

Hさんが倒れた時、僕はHさんをただ見つめていた。 僕だけじゃない。 その場で働くみんなが、ただただ見つめるよりほかなかった。

その光景と、規定の残業時間という空虚な言葉のアンバランスさから生まれた鉛のような違和感が、じっと腹のなかに留まり続けている。

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ChaosBoy

テーマは「脱・思考停止」。
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