俺が俺である為に

胡散臭いサーカス。

虚勢、欺瞞、嘲笑。 それらの言葉と煌びやかな衣装。 毒々しい極彩色で彩られた人々。

ステージの中央にいる小さな男。 後ろ手に何かを隠した道化師。 最後の最後で両手を広げる。

やめてくれ。 あんたの手の内なんて見たくない。 種明かしは死ぬまで無しだ。

今更バラすくらいなら、 いっそ、 騙し続けろ。

2005年1月14日

夜9時を過ぎた頃だった。 俺が自室の片づけを切り上げて階下のリビングに行くと、母親は風呂に入りパジャマを着た姿で、ビールを飲んでいた。 母親はようやく帰宅したようだった。 仕事は大抵、午後5時には終るのだが、帰るのはいつも9時を回っていた。

その間何をしているのか、俺は知らない。

「おかえり」 「ただいま。そういえば今日、店で・・・」

母親はいつものように明るい口調で話し始めた。

日常。 壊したくないと、強く思った。 俺は今まさに、この人を悲しませようとしている。 苦しませようとしている。 その重圧がのしかかり、言うべき言葉がなかなかでない。

「昨日の話なんだけど・・・・・・」

そう切り出した瞬間、母親の顔が曇りこわばるのが見て取れた。 しかし、一度こぼれた言葉は止まらずに溢れ出した。

ふと気付くと、 ひたすらの自分の言葉を続けていた俺の目の前に、 涙を流している母親がいた。

俺は昨日言った事と同じことを、また繰り返した。 店は閉めるべきだと。 そしてもう一度、家族全員で力を合わせたらいい、と。

母は泣きながら言った。

「あたしたちはもう60なのよ。老人二人抱えて放り出されて・・・・・・」 「・・・・・・死ねって言われてる様なもんじゃない!」

この瞬間に、自分の中の何かがぷつりと切れた気がした。

「・・・・・・ふざけんな、ふざけんなよ!そんな簡単に死ぬなんていうなよ!ばかやろう!」

俺は席を立ち、リビングを後にした。

情けなかった。 自分の親が、たかが金で、それも、自分たちで作った借金で死ぬ? ふざけるな。 必死で生きようとしてる、俺の気持ちはどうなるんだ?

冷たい廊下を裸足で歩きながら、もはや後戻りは出来ないという思いがよぎった。

2005年1月15日

この日も曇り空で、時折、分厚い灰色の雲が冷たい雨を降らせた。 店に出ていた俺は、気持ちを誰にも悟られぬように注意をして過ごした。 気を抜くと表情に表れてしまうから。

午後7時。 休憩時間。 俺は駅前に急いだ。 駅前には2階建ての、ちょっとしたモールがある。 ゲームセンター、カラオケ、若年層向けの洋服屋、居酒屋、飲食店。

訪れる人の殆どが、高校生かそこらの年代だ。 けばけばしい蛍光色の看板と、店から漏れる雑音が、この街の猥雑さと下品さを、より際立たせて見せた。

駐車場の一角にキャッシュ・ディスペンサーがある。 重いガラス扉を押し開けると、青白い蛍光灯の光と、機械仕掛けの案内音声が、事務的に動作を促した。

以前、親との付き合いで作ったクレジット・カードが役に立つ事になった。 俺には引越しする金などは残されていなかったから、借りるより他なかった。 機械から排出された20万円を掴んで、封筒に詰めた。 なぜか、後ろめたさのような居心地の悪さを感じながら、駐車場を後にした。

仕事が終った午前12時過ぎ。 自室についた俺は、不動産の契約書類に判を押してもう一度、金を数えた。

引越しの準備は殆ど整っていた。 一度に持ちきれない荷物は、あらかじめ友人の家に預けてさせてもらった。

明日の夜中、俺は家を出る。

2005年1月16日

仕事に行く前に不動産屋に寄ろうと、少し早めに家を出る事にした。 出る時に廊下で祖母が言った。

「あたしは、もしこの家が駄目になってもじいさんと二人でも生活していくつもりよ」

「そう思ったら、なんだかやる気が湧いてきたの」

久しぶりに祖母の屈託のない笑顔を見た。

母親と父親は、「祖母と祖父を背負って」と言っていた。 彼らだけでは生きてはいけないと。 祖母は、生きようとしている。

「うん。大丈夫だよ、俺もついているから・・・」

俺は、そんなことしか言えなかった。 何もできやしないのに。 でも、その気持ちは嘘じゃないんだ。

不動産屋に書類と現金を渡した後、店に向かった。 午後4時ごろ。 友人に呼び出されて言われた。

「最後に親父ときちんと話すべきだ」

午後7時。 親父は道楽で店舗の駐車場の一角に設けた、かつての自分の趣味の店でくつろいでいた。 俺の浮かない表情と、突然何かを伝えにきたことを察してか、不自然な笑みを浮かべて近づいてきた。

「どうした?」

「いや・・・」

「不安なんだろう・・・父さんも不安だったんだが・・・」

親父はそう言って一冊の哲学書を、俺に手渡そうとした。

「これを読んでいたら急に気持ちが軽くなってな、お前も読め、不安が一番精神に良くない」

「違うんだよ」

俺は話し始めた。 なるべく丁寧に、感情的にならぬように、しっかりと伝えた。 でも、やはり親父には全く理解されなかった。 理解どころか呆れて、さらに逆上して感情を露わにした。

親父は言った。

「お前、そんなに働くのが嫌か!?家族の為だぞ??それが嫌なのか!?」

「そんなことを言ってるんじゃないんだよ!何のプランもなくこのまま巧く行くはずないだろ!?」

「・・・全くお前は・・・もういい!」

そして親父はしっかりと俺の眼を見つめていった。

「もういいよ、お前には頼まない。だが、名前だけ貸してくれ」

「名前だけ?」

「そうだ、もう処理は始まっているんだ!だから名前と印鑑だけ貸してくれればいいから!」

「それはなんなの!?」

「お前、名前貸すのすら嫌なのか!?店はやらなくてもいいんだぞ!?」

「名前貸すってことは俺の店になるってことだろ!?そんな社長がどこいるんだよ!」

「もういいよ。でも明日は絶対来い。来週中に監査が入るからな、名義人がいなくちゃ困るんだよ!」

俺は黙って出て行った。

俺は一体何の為に出て行くのか?

俺はもしかして本当に、酷い人間なんじゃないだろうか?

自分の利益しか考えていない人間なんじゃないだろうか?

家族を見殺しにする気なんじゃないだろうか?

俺がいればそれで全て解決するんじゃないのか?

全てを投げ打っても家族を助けるのが、俺のやるべき事なんじゃないのか?

でも、俺は出来なかった。 家族が嫌いなわけじゃない。 自分のやりたいようにしたい訳じゃない。 ただ、 俺には、彼らが言う「絶対に良くなる未来」が全く見えなかった。 それが分かっていて、俺の人生を投げ打つなんてことは、出来ないと思った。

いつもどおり、午前12時近くに仕事が終った。 相変わらず空は曇ったままで、その影が月も星も覆い隠していた。 雨がやんだあとで路面はすっかり乾いているが、とても冷え込んでいた。

黒いスポーツカーに乗り込み、エンジンをかけた。 ひんやりとした車内に自分の息が白く見える。

駐車場から出てからまっすぐ直進の道に出る。 赤信号でとまる。 だれも通るものはいない。 『俺の進むべき道は、俺が決めなくてはいけない。』 青信号になった。 アクセルを吹かして、家路を急いだ。

もう二度と帰れない。帰らない。

心に刻んだ。

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【 二十五ノ夜 】
ChaosBoy

テーマは「脱・思考停止」。
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