家族

2005年1月。 俺は家出した。 みんなには家族を捨てたんだって言われてる。

2004年9月。 仕事を辞めた。 理由は、家族と仕事をいていくのが耐えられなくなったから。

うちは、町じゃそこそこ有名な喫茶店を経営していた。 片田舎にはまだあまりないタイプの、重厚感と高級感を売りにした大型の店舗。 従業員も正社員が殆どで、ホールと厨房合わせて40人以上いたと思う。

物珍しさとバブル景気の後押しで、町中の人々がやってきた。 20年以上前に開店した当初、年商1億円を越えていた年もあっただろう。 バブルというのが弾ける寸前だった。

不景気と呼ばれる時代に突入しても、うちは比較的裕福だった。 俺は小さかったから良く分からなかったけれど、当時の売り上げから考えたら一般家庭よりは良い収入を得ていたはずだ。

他の家庭より少なかったのは、両親と共に過ごす時間だった。 今考えてみれば、そんな時間がずっと欲しかったんだと思う。

俺には5歳年上の姉がいる。 姉には良くいじめられたけど、優しい所もあって、俺よりよっぽど頼れる人だ。 俺が映画の専門学校に通っているときに、サラリーマンと結婚した。

俺が20歳になった時、姉は子供を生んだ。 学校を卒業して就職もしなかった俺は、親父が道楽で始めていた喫茶店で一日を過ごしていた。

そこは事務所も兼ねていて、姉が事務をしていた。 親父は飽きもせずまさに”一日中”そこにいた。

母親はメインのお店でケーキを作っていて、それが終わったらこちらにやってくる。

姉はいつも、両親の手が空いた頃を見計らってやってくる。 子供を預けて仕事をする為に。 もっとも、両親が子守をしたくて堪らないって感じだったけど。

どうしてだろう? ここへ来て今まで感じたことの無い、一家団欒というものが生まれた。 その時間は半年から一年の間続いた。

きっと、家族全員が感じていたことだけど、これは運命とか神様とかそういった何者かが、家族に与えてくれた時間なんだろうなって思った。 だって、それほどみんなバラバラだったから。

2002年10月。

いよいよ店も従業員を使っている場合ではなくなった。 家族がやるしかないのだ。

親父は経営者だからという理由で、あまり店の事をしようとしなかった。 言い訳なのか、その代わりに何かしていたのか、それは分からない。

母親はすでに働いていた。 姉は結婚している。

俺は、ほんの少しイヤな予感がしたのだが、やらざるを得ない雰囲気だった。 家族が良くなるなら、やるか、と思った。

イヤな予感って言うのは、家族ってことで給料が貰えないとか、そういった面での甘えがでそうだったから。 でもそれは約束してくれた。

当時23歳の俺は、いきなり店長になった。 理由は店長がいなかったから。

その店は、俺が入った時点で、クソだった。 何で客が来ないのか、そんなの見れば分かる位だった。 俺が見て分かる程ひどかった。

珈琲は手で淹れる。 それがこだわりなのに、

「珈琲がまずくて飲めない」

客からそんな苦情がいくつも出ているような状態だった。

でもとにかく、俺は店長として家族と働くことになったんだ。

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【 二十五ノ夜 】
ChaosBoy

テーマは「脱・思考停止」。
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