統括責任者

2003年10月。 統括責任者という人がやってきた。

おかしな話だと思うけど、そんなの親父がやればいいんだけれど、なぜか組織という言葉を愛してやまない親父は決して仕事をしようとしなかった。

俺はドン底だった。

誰から見ても、ちょっとおかしく見えたんだろうね。 親父はその辺のことを察してか、或いは俺が辞めるんじゃないかと懸念したのか、新しい人物を送り込んだ。

その人は、かつて店がもう少し良かった頃の店長をしていた人だった。

彼は30代前半でその時営業の仕事をしていたが、月曜日だけ来る事になっていた。 主な仕事は俺の管理。とにかく店長の仕事を教えると言う事だったらしい。

きっと、これも運命だと思う。 彼が来てからすべてが一変した。

初めて一緒に仕事した感想は、「得体が知れない人」だった。

その日は2人だけでずっと会議のようなものをしていた。 6割は黙っていたけど。

なんだか、おなかが空いたって言いだせなくて、店が終わる時間まで我慢した。

いや、俺は我慢できなくて途中抜け出して食べたんだった。悪いけど。

俺は腹が減りまくってたのに、顔色一つ変えない。

でも後で聞いたら無茶苦茶おなか空いてたって。

2人して笑った。

ある時、彼に給料を貰ってないことを話した。 彼は笑ってた。 ひとしきり笑ってから、まじめに聞いてくれた。

その時、俺は救われたんだ。

以来彼には、全部話せるようになった。俺が思っていることも全部。

気がずいぶん軽くなって、ちょっとづつ戻っていった。 正確には治っていったって言うか。。。 失ったものは今でも取り戻せていない気がするから。

それから半年の間は、かなり本気で仕事をした。 それまでも本気だったけれど、どうやってそれを形にしていいのか分からない。 バイトの延長みたいなもんだったから。 それが、仕事のやり方が分かってきた。 俺がやるべきことを教えてくれたんだ。

その統括責任者ともすごく息が合ってた。 バイトの面接と教育は前から俺がやっていたんだけど、ようやくモノになってきていた。

ちょうどやり易くなって来ている時期だった。

今までの”膿”を出すチャンスをずっと待って、準備をしていたんだ。

不思議だけど、職場も結局は人間が作っている。 だからどんどん雰囲気が変わっていくんだ。

今までぬるま湯に使っていた奴らが、その変化に耐えられなくなって、勝手に辞めていった。

勿論、俺達のことを良く思ってないから、散々足掻いていたけれど。

でも本当に手ごわいのは辞めない奴ら。 うまくやってる振りして居残ってた。

それでも、おぼろげながらヴィジョンとかも見えてきた。

メニュー構成を考え、レシピ、原価とかそういうの全部ひっくるめてやり直した。 メニュー自体も作った。 誰も手伝ってくれる人なんていないから全部一人で写真とって、デザインして、プリントアウトして。

かなりギリギリになって、変更の当日の朝まで全部ラミネートして何とか作った。

それでもやっぱ邪魔するんだよ。

家族が。

昔の幻想に囚われているのか何なのか、とりあえず文句ばっかりだった。 昔はこれでやってきたんだって。 だから俺ひとりでやったよ。俺と統括責任者と。

なんかおかしなバランスだった。

売り上げはずっと下がり続けていた。 当たり前だ。 何年もあの状態で続けていたんだから。 でもほんの少しだけど、ようやく普通の店の一歩手前くらいにはなって来ていたと思う。

そういう手応えはあった。

2004年6月。 メニューを変えて2ヶ月くらい経った頃、家族会議が開かれた。 家族4人と統括責任者の彼。 正確には彼には来て貰ったんだ。

なんか悪い予感がしたから。

親父が口火を切った。 「そろそろ、世代交代という奴を考えているんだが・・・・・・」

それから延々5時間、ほんと、クソみたいな話を始めたんだ。

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【 二十五ノ夜 】
ChaosBoy

テーマは「脱・思考停止」。
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