肖像

8mmフィルム。

リールが音を立てて回り始めると、壁の一部がまっしろに切り取られた。 突然映し出された、色褪せた目の粗い写真が動き始める。 音はない。

補助輪つきの自転車に乗った小さな子供たちと、赤い服の女性。 子供が何かを歌い、女性が笑った。 場面が切り替わる。 ポロシャツをきた男性。 笑顔で半べそをかいた男の子を抱き上げる。

なんの前触れも無く映像が途切れて、真っ白に切り取られた壁に戻った。 レールの回る音だけが部屋に響く。

たった1分半の切り取られた過去。

2005年1月12日

芝生の庭。 毛がうすい茶色に白い模様の、少し太ったコーギー。 まだ建てられてから3年ほどの、新しい家。

姉はその家で暮らしていた。 旦那さんと、旦那さんのお父さんと一緒に。 旦那さんのお母さんは、姉が結婚してからすぐにガンで亡くなった。

その日、久しぶりにその家を訪れた。 いわゆる2世帯住宅で、2階が姉の家族、1階は義理のお父さんとお母さん、という割り振りになっていた。

高級ではないが趣味の良い家。

スロープのついたメープル木材の階段をのぼる。 母親と姉、そして姉の5歳と2歳の娘。

姉はずっと事務をしていたから、子供が小さいうちは店に連れて来ていた。 姪たちはいつも同じ笑顔で・・・でも少しづつ表情が変わっていって。

みんなで買い物に行くことにした。 かつては賑わっていた老舗デパート。 色褪せたコンクリートの壁が、過ぎ去った時代の流れを染込ませていた。 今や「老舗」という誇りだけが、この店を営業させ続けているかのように見える。

俺たちは一通り買い物を済ませて、レストランで休む事にした。

最上階にあるそのレストランは、窓際がすべて大きなガラス張りになっていた。 正面に座る姪が、オレンジジュースを嬉しそうに飲んでいる。 微笑む姉と、こぼれたジュースを慌てて拭く母親。 真冬の昼下がり。

橙色の太陽の光がその光景を、むかしの写真のように映した。

間違いなく、幸せな家族の肖像がそこにあった。

俺はアイスコーヒーをゆっくりと飲んだ。 ただ、その時間が終らないように。

時間を惜しむように。 まるで、まだ小さかった子供の頃みたいに。

窓の外に目をやると、ガラスの向こうにさびれた街が一望できた。

過去の繁栄の影を残したままの、廃ビル。

不意に、涙が溢れそうになって、慌てて目を逸らした。

「俺はもうもう二度と、家族とこんな風には会えなくなるのかも知れない」

俺の提案。 それは、20年続いたあの店を閉めること。 誰も継がない。

両親の借金は自己破産によって消える。 俺と姉名義の借入金は、なんとか仕事して返せない額でもない。

家は、勿論無くなる。 だから両親もアルバイト程度でも構わない、働く。 俺も働く。

祖父母もいるが年金も少ないながら貰っている。 みんなで家を借りて暮らせない事も無い筈だ。

それが一番いい方法だと思った。 家族にとって。

その日、買い物を終えて姉の家に着いたときに、2人に話した。 俺の考えを。

家を出る事だけは決して、話さなかった。

姉と母親は涙を流した。

その涙は、悔しさからだった。 一人息子の考えが、あまりに家族に対して思いやりがない・・・と。

姉は涙を流しながら怒り、言った。

「あんたはもういい、あんたが継がないなら私が継ぐから」

目を腫らした母親が、うんざりした口調でつぶやいた。

「・・・あんたは、ここぞって時に小心者なんだから・・・」

俺は言葉を失った。

じゃあ、俺の将来について真剣に考えているのか? 俺が抱えている不安は誰が解決できる?

差し込んだ冬の夕暮れの光が、静かに近づいてくる夜の闇に支配されていく。

「あんたの将来、たかが5年間、両親にくれてあげなさい。今まで育ててきてくれたんだから。」

姉は涙を拭った。

「・・・わかったよ」

「結婚だって、相手があんたの事を本当に好きなら、いくら借金があっても一緒にいてくれるはず」

「それで居られない様なら本物じゃないのよ、だから大丈夫よ」

その夜、帰って来てすぐに、部屋を片付け始めた。 大きなクリアボックスを、いくつも用意して。

2005年1月13日

俺は一緒に住んでいる祖母に、打ち明けた。 祖父母のことは本当に好きだったから。

祖父には話さなかった。 祖父は少しづつ惚けが始まっていたから。

全ての話を聞いた祖母は、涙を流す事も無く、静かに聞いていた。 親父は祖母に、仕事の事や借金の事、自己破産のことすら一切話していなかった。

いつもそうだった。 祖母は人一倍家族を心配していた。

今の状況を全て話した。 親父の道楽ぶりはすべて知っていたから、諦めたような表情をしていた。 そして、俺の気持ちを理解してくれた唯一の家族だった。

一通り俺の話を聞いてから、祖母は言った。

「でも私は家族に何もしてやれない。生活させて貰っている身分。だからどうしようもないのよ」

親父は祖母にも借金をしていた。 1000万以上だ。 そのうえ祖父母の年金を前借して、店の資金に回したこともあったという。

「本当にあの親は、まったく・・・」

不意に言葉に詰まった祖母をみた。

うつむいた祖母は、しわが寄ったその小さな目いっぱいに涙を浮かべていた。

「もう一度、話してみるよ、みんなに。ダメなら・・・家を出る覚悟もしている・・・」

そう告げて、祖母の部屋をあとにした。

2005年1月14日

少し広くなった部屋。

開け放った窓から、ひどく冷たい風と乾いた土の匂い。 隠れていた埃が部屋の隅に集まって、大きな塊になった。 誰にも気付かれずに片付けるのは、少し大変だと知った。

俺は、荷物がまとめられて、がらんとした部屋を眺めて思った。

『最後に自分の気持ちだけは伝えなければいけない』

その夜、もう一度母親と話すことに決めた。

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【 二十五ノ夜 】
ChaosBoy

テーマは「脱・思考停止」。
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