破産
自分の手のひらを見つめる。
俺が存在している理由。 紛れもなく、家族が生かしてくれたから。
もう、嘘は要らない。 この右手と左手。 選択肢は二つ。
家族の為に生きるか。自分の為に生きるか。
2005年1月4日。
就職が決まった俺は、久しぶりにリラックスした気持ちで正月を過ごした。 炬燵、大きなテレビ、蜜柑、残った御節料理、家族の笑顔。 何にも変わらないのに、尊い気持ちだった。
失ってはいけないもの。 本当に大切なものが見え始めていた。
家族会議。
何度目だろう? いつ聞いても嫌な響きだ。
その日も、そう思った。嫌な響きだ。 外は灰色の厚い雲に覆われて、地上に冷たい空気を容赦なく吹き付けた。
今更、俺が会議に参加しなきゃいけないのは、何故か。 その理由は一つしかない。
最後の会議なんだ。
かつて高級な雑貨を売っていた木造の建物。 今は事務室となっている。 蝶と花を象ったステンドグラス、金メッキのサーベル状ペーパーナイフ、男の子と女の子が腕を組んで歩く姿の置物。
道楽の末の、夢の残骸たち。
会議は父、母、姉、俺と、もう一人。俺の知らない人がいた。
みな怪訝な顔つきでテーブルに付いていた。
これからどんな話がされるのか。
誰もが分かっているのに、話そうとする者は誰もいない。
古い床に影が染み込んで行く。
「この人は、今まで、店の金銭的な部分でアドバイスをもらっていた、仲川さんだ。」 親父が紹介した。
そこからしばらくの間、会議が続けられた。
長い時間。
目の前に置かれた書類。
母親は目に涙を溜め、ときどき花柄のレースの付いたハンカチでそれを拭った。
感情的な姉は泣きながら何かを訴えていた。
親父の表情からは、何かを読み取る事はできなかった。
そして俺は、俺はいったいどんな顔をしていたんだろう?
何を思っていたんだろう?
テーブルの上に残された結論。
俺は承諾した。それが正しい道だと思えた。
そして家族は、それが唯一残された希望の道だと信じていた。
店は最終的な局面を迎えていた。
親父が出してきた書類。 それは返済すべき借金のリストだった。 目を疑った。
まだ1億を超える額が残っていた。
借金が借金を増やし続けるサイクル。 減り続ける売り上げ。
もはや利益どころではなく、マイナスでしかなくなってしまった。
親父は自己破産を決意した。
母親も個人名義で借りた金がある。だから母親も自己破産する。
これによって経営者が負った借金は消える。
そして倒産という手続きを行う。
そのあとを俺が引き継ぎ、経営者になるという考えだった。
しかし、親父の借金はそれだけではなかった。
その数ヶ月前に親戚に一千万円ほど借りていた。 その金は消費者金融の返済に充てた。 それほどまでに苦しかったのだろう。
その他、他人に借りた金。 それらは勿論自己破産した所で消せないものだ。 法律上は許されるが・・・大きなものを失わなければならない。
親父はそれを最も恐れていた。 返したいといった。
そして俺たちに残った消費者金融の借金。
一度返済したはずの金は、あっという間に借金に変わった。
また借りたのだ。 たった数ヶ月の間に。
俺が負うべき物はこれらの借金と、もう一つ。 自宅だ。
自己破産すると勿論持ち物全てに監査が入る。 持ち家もだ。 競売にかけられてしまう。
親父にとっての、繁栄の象徴。
失いたくないのだ。 うちには祖父と祖母が健在だ。 だから、失うわけには行かないと言った。 競売で俺が買いなおすという計画だ。
俺は情に流されたのか、思考する事を諦めたのか、とにかく承諾してしまった。
それがどういうことかも考えずに。
その深刻さに気づいた時には、すでに、何もかもが進み始めた所だった。
薄暗く厚い雲から粉雪が降る。 空に隙間なく敷き詰められた灰色の絨毯。
その日、灰色の隙間から光が漏れる事は無かった。
ChaosBoy
テーマは「脱・思考停止」。
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